勉強に感動はない。けれども…

いよいよオリンピックが今週末に開幕します。

よく、生徒たちにこんな話をします。

「残念ながら、世の中には不公平なことはたくさんあります」

「どれだけ努力しても、生まれつきの才能や体格の前には勝てない、というね」

「例えば、オリンピックの100m走の決勝を見たことはあるかな」

「黒人選手の割合が多いよね。あれはどんなに努力しても、バネだとか足の長さとか、覆せない大きな才能の壁があるんだろうね」

「でも勉強は違うんだよ」

「基本的に勉強は努力したらきちんと成績は伸びる、公平な世界だよ」

「自分がんばってるのに成績伸びない…って言いたい人もいるかもしれんけど、それは『足りない』だけ」

「同じクラスの〇〇さんは天才だから勉強しなくても点数がいいって声もたまに聞くけど、ちゃんと勉強してるから」

「わざわざ自分から勉強してるって言いふらす人はいないでしょ。一緒に暮らしてるわけでもないし、家ではきちんとしてるんだよ」

「テストで点数を取るために必要な力はざっくり言うと、暗記力と事務処理能力。これらは小さいときからのトレーニング量で決まる。小学生のときにサボってた人は、中学生で人一倍やらないといけないよ」

「努力することでこれらの力を伸ばし、テスト範囲を繰り返し勉強して知識を入れ、演習をして定着させる」

「これを地道に繰り返せば、誰でも成績は伸びる。問題はそこまで継続できるかで、ここは『強制力』を発動するから安心してね(笑)」

もちろん世の中には、とびぬけた頭脳を持つ生徒がいることは事実です。

しかし、そんな生徒に勝たなくても受験には合格できるのです。

多くの学生は普通の頭脳を持ち、

努力量がそのまま学力の差になり、結果に結びついているのです。

人生において、一発逆転なんてものはそうそう存在しません。

しかしそれを狙って、右往左往する人が少なからずいることもまた事実です。

地道に努力を継続すること。

どこまでも一歩ずつしか進めないけど、

一歩ずつは確実に進んでいるわけで。

世間で言われる勉強においての大逆転や奇跡は、

そういった冷静な一歩ずつを積み重ねた先にあるということ。

勉強にはスポーツのような華やかさは感動はないかもしれませんが、

誰もが公平に努力の成果を発揮できる、素晴らしいものだと考えます。